【沿線革命023】京浜急行と京成電鉄を直結して羽田と成田を近付けるでは、品川-日暮里の複線が4つから7つも並ぶ線路の直上を重層利用し、大深度地下よりも安く早く実現することを提案しました。

【沿線革命022】モノレール東京延伸と7駅増設、将来はスカイツリーへ延伸を!では、同様に線路上空を活用して、東京モノレールを東京へ、さらに将来は上野・スカイツリーへ延伸することを提案しました。

さらに、リニア中央新幹線の品川駅も東京駅も駅間も東海道新幹線の直上に建設できないかとも書きました。

「荒唐無稽」「非現実的」「リニアは品川地下終点を前提に詳細設計中で変更できるはずがない」等々、多数の反対意見をお受けすることを覚悟の上で書きました。そもそも、国民の意識としては都心の線路空間は公共用地だとしても、現実はJR東日本やJR東海の私有地であり、私ごときがその使い方を提案するなどおこがましいことです。

しかし、東京都心の鉄道ネットワークを如何に充実できるかは日本の行く末を決するほどに重要なことと考え、あえて問題提起しました。JR東日本からもJR東海からも「ぜひ実現したい」などのご連絡はありませんが、幸いなことに「人の土地を使った勝手な提案を出すな!」といったクレームはありません。

明治の始めに3,000万人だった日本の人口は、60年後の昭和初期には6,000万人に倍増し、さらに60年後の昭和末期には1.2億人に倍増しました。同じ期間に、東京圏は300万人→1,000万人→3,000万人と60年毎に3倍増を繰返しました。交通に関して、120年間の内の最後の30年間は自動車の貢献が大ですが、それ以前の90年間は鉄道の貢献が大です。

人類史上に冠たる、平和で豊かな東京の3,000万人都市圏は、先人達の努力と苦労の結晶である高機能な鉄道ネットワークがあればこそ構築できたのです。人口稠密だから世界でも稀有な税金頼りでない鉄道事業が成立したのではなく、シッカリした鉄道を創れたから人口稠密になったと私は見ます。

もちろん、東京大都市圏は、電気・ガス・水道・通信その他の基礎インフラが整備され、鉄道以外の政官民の様々な成果があればこそ成立したのですが、鉄道の充実が大きな役割を果たしたと見れるのではないでしょうか。

1872年の新橋-横浜鉄道開業から1914年の東京駅開業までは42年、1925年の神田-上野開業による山手線全通までには53年を要しました。東北新幹線は1982年の大宮-盛岡開業から1991年の東京-上野開業まで9年余計に要しました。1974年の上野-東京の東北本線の運行停止から2015年の上野東京ライン開業まで41年を要しました。泉岳寺-押上を新東京経由で大深度地下で結ぶ都心直結線構想は実現の見通しがありません。

都心への鉄道の建設はことほど左様に難しいのです。そして、建設さえできれば社会の生産性向上に爆発的な能力を発揮します。品川-日暮里の、東京圏全体から見たらごくわずかの面積でどれだけの人を運んでいるかを、同じ面積の道路で運んでいる人数と比べると目が眩みます。

日本は少子・高齢化が着々と進み、50年後の社会の姿を想像した時、背筋が寒くなります。破局的な未来を回避するには、少子・高齢化に備えた社会作りばかりでなく、少子・高齢化を改め「産めよ増やせよ」を進めることも不可欠ではないでしょうか。

今回の提案は、かつて、日本の人口を倍増・倍増させ、東京圏の人口を3倍増・3倍増させるのに大きな役割を果たした鉄道が、もう一度重大な役割を果たさなければいけないと念じてのものです。